過去のピアノ日記

2004年前半 ピアノ日記



6月14日 毒!?
梅雨の晴れ間、今日は気持ちのいい青空が広がりました。
素足で過ごすようになって、先日ねころがりながら、ふと右足の裏をみると、深緑色に染まっている!!

右足だけなので、これはピアノのペダルについた「ろくしょう」だと大慌て!ろくしょうって、昔から毒だって教わりませんでした?食べたら死ぬとか。ギャオー!足の裏から毒がまわって大変なことになる!?あわてて洗い流しましたが、どういう毒があるのかと思って検索すると、なんと有毒説はもうとっくに否定されてるそうですね。ほんとうなのかな。

ペダルって磨いたほうがいいんだろうか?みんなは素足で踏んでないの?



5月30日 落ちつけばいいのに…
先日、ちょっとした集まりがあってピアノを弾いてきました。
アラベスクなら弾けるからと楽譜も持たずに出かけて行ったんですけど、これまた緊張なのか、鍵盤を目の前にしたら舞い上がってしまい、まったく弾けなくなってしまいました。

「楽譜を見てもう一度やってみたら?」との助け舟に応えることもできず、ミスなんていうレベルじゃなく全然弾けていない状態で、最後までボロボロでした。一応ちゃんと覚えたつもりで、家では今でも弾けるのに、なんで人前だとああなるかなあ〜

皆さん温かい目で見守ってくださり、フォローしてくれて必要以上に落ち込まずに済んだんですが、最近の私のあがり具合はちょっと重症だなあと、自分でも解決の糸口が見いだせず、帰りのバスの中でもいろいろ考えてしまいました。

前の発表会での大失敗で、自分なりに何が悪かったのか反省し、あれからは指覚えだけでなくできるだけ左手の音符も暗譜して練習しているのですが、いまだに人前でちゃんと弾けたためしがない。

でも今回、家に帰って弾いてみると、左手の音符もちゃんと覚えていた。
だから、弾けなくなるのは音符を覚えていないということより、もっと他の理由が大きいような気がしています。

せっかく何ヶ月も自分の頭で一生懸命考えたり、練習したことが、人前で鍵盤に向かうと突然すべて飛んでいってしまい、焦るもんだから、「早く無事にこの場を終えたい」という一心で、きちんとピアノに向かえない。

今回のミスの要因を考えてみると、まずはじめに椅子の高さや位置をチェックせずに弾き始めてしまったこと。椅子が低いなあ、鍵盤から近いなあと窮屈を感じながらそのまま行ってしまった。家で弾いているのと同じ距離で鍵盤に接するのは大切だった。

それから音をどんどん間違えるのは、焦りまくってまさに地に足がついていない…指が鍵盤についていないといったところか。どんなときもドンと腰を据えて、落ちついて、自信を持って弾ければいいのだけど、これが出来ないから困るんだよね。

そのときの皆さんのお話で、「普段練習をするとき、たまにはハノンや練習曲からではなく、いきなり曲を弾き始める」というのが有効だなあと思った。そのことはこれまでも考えたことがあったし、それなりに理解していたつもりだったんだけど、あまり実践したことがなかった。

街角で公開しているファイルは、リアルタイム録音&無修正なのですが、これが普段の私かというと、そうではない。100回ぐらいとりなおして間違えずに弾けたのを載せている。これはこれとして悪いことではないんだけど、本番で一発勝負をするのなら、100回連続で間違えずに納得の演奏ができる状態でないと、成功させることはできないんだろうなあと思いました。



3月22日 アラベスク1番
ドビュッシーの「アラベスク1番」、楽譜を見ずに音符を並べられるようになっている。でも音楽にするのが大変!

たびたび録音しているけど、あまりのひどさに気が滅入る(苦笑)
うまく聞こえない理由は、技術的な問題と、音楽的な表現の問題にある。

こういう曲は特に、ごつごつしていると聞き苦しい。ちょっとでも腕や肩に力が入るとそこにヘンなアクセントがついたり傷になってしまう。スピードに乗る曲なので、一瞬の迷いも致命傷になる。録音してもノーミスは難しいな。これはもう、自分の技術レベルの問題なので、この曲ばかり今練習したところで、急激にはよくならないだろう。

音楽的な表現の問題にはまだ余地があるかも。
この曲は、水の流れの緩急とか、光が当たって明るかったり、影が出来たり、そういった頭の中のイメージの描写だととらえた。実際の自然を見た描写とか、人の心の中を表現しているのではなくて、頭の中で、光と影の中、幾何学模様が次々と動いている感じ…

心情ではないのだから、メロディをオペラ歌手が歌うように歌い込むのは似合わない。かといって、淡々とメトロノームのように弾いていては、表現にならない。

これまで私は、ギロックなどを中心に、情景描写とか、心の中の描写を、歌にのせて表現することをやってきたので、右手のメロディで、切なくなったり、嬉しくなったり、悲しくなったり…というのは多少できるようになったかもしれない。ところが、この曲で「歌い込まずに音楽的に表現する」ということが、よくつかめないのだ。

たぶん…
スピードの面で緩急をつけるとか、光と影が交差するように強弱のメリハリをつけるとか、そういったことを、クールな感じでやるといいんだろうな。クールといえば…フランス物って、ロマン派の曲とは温度差があるね。ロマン派は体温よりかなり熱い感じ。人の温もり程度から、ぎらぎらした熱い情熱…。逆にフランス物は体温より冷たい。冷たくても、そこにおしゃれな魅力があるんだけど。ただ、このアラベスク1番は、フランス物といっても、すこし温かみがあってもいいような気がする。

先生のレッスンでは、音の間違いを1ヶ所、アクセント記号の認識違い、音が鳴っていない箇所の指摘、弾きにくい箇所の部分練習、risolutoの部分が粗いとの指摘、分散和音の力の抜き方などを教わった。

音楽的内容については、質問すると一般的な知識をくれるけど、個別の具体的な表現については、おっしゃらない。というか強制しない。たとえ、こう弾きなさいと言われたところで、その通りにはできないし、おもしろくもない。自分がどうしたいか、なのだから。先生は、それを自分でみつけるのが一番楽しいんだから…といつも言っている。先生によると、この曲には「宝物」がいっぱい隠されているんだって。その宝物をたくさん発見した人が勝ちなんだって…

今はその「宝探し」と、もう少し技術的なレベルアップを図っているところ。
ドビュッシー1年生、もうすこし悩んでみます(笑)自分なりに納得する録音ができたら、また聴いてくださいね。



1月29 鍵盤の底
今日は、モーツァルト協奏曲(2楽章)のレッスン。

この曲は8分の6拍子で、全体にタータ、タータ、…という静かなリズムで前に進んでいく。先生からは、それを意識しながら演奏するようにとずっと言われていたのだけれど、なかなか体で感じることができなかった。自分で「これだ!」という感じがつかめないまま弾いても、音楽に反映されるはずはない。

それが、今日の先生の一つのアドバイスでわかりかけた。私は、重みをかけるはずの音(ター)を弾いて伸ばしているときに、手首を上げてしまっていたらしい。それを、鍵盤の底まで手の重みを感じて、弾いている途中も手首を保つことを意識してみると、なるほど、軽々しさがなくなり、静かさの中にも前に進む感じになる。

なぜか上手く弾けない、いつまでたっても音楽にならない、というのは、自分の目指すリズムを、ほんとうに体の中で感じていないためだろうし、また不必要な動作を知らず知らずのうちにやっていることもあるんだな。

アドバイスを受けて、これまで鍵盤の上っ面で弾いていたんだなあとあらためて思った。今日はいつもより2センチぐらい下で弾いているような感じがした。

何か発見できることはすごく楽しい!

アラベスクは、まだまだ譜読み中。来週には最後までつながるかな?



1月9日 今年最初の曲は…
12月から、ちょこちょこと譜読みを始めたのが、ドビュッシーの「アラベスク1番」。ただいま3頁目で格闘中。想像したよりは弾きやすかったけど、曲として完成させるのは苦労しそうだ。

ところどころ、スピードについて行けないところがありそうなので、どう攻略していこうか?
あまり飛ばさなくても、スピード感を出して聴かせるには…
技術的な練習と、音楽的に弾くための模索、ともにじっくり取り組むことになりそう。

この曲は、何か具体的な心情や情景ではなく、美しい水の流れとか、光があたってきらきらしている感じとかを、曲全体で感じられるようにしたい。部分的な描写よりも、全体をみながら…