過去の日記

日記 2003/後半

11月5日

仕事に出るようになって2カ月が過ぎた。最初はあたふたしていたが、ようやく慣れてきた。毎日ほんの数分だが、かなりの緊張を強いられている。いまだに心臓がドキドキ。これって何かに似ているなあと思ったら、ピアノの本番だ^^;

あがり症を克服(緩和?)するには、人前でしゃべるとか、大勢の前に出てなにかする訓練をするのがいい、などと前に書いたけれど、この仕事は私の、もやしっ子の精神を鍛え直してくれるかもしれない^^;
でもやっぱり、責任はないけど、ピアノのほうが格段に複雑で難しいな。

長野では、そこら中の畑でりんごが実っています。美味しそう!
下は春に撮ったりんごの花です。
このあと小さな実をつけて、今ではこんなに真っ赤に。



9月7日(6日の続きです)

実は最近、今の仕事の給料が減ってしまい、もう一つバイトでもしようか、どこか別の所に移ろうか…と漠然とだけれど考えていた。でも条件のいい仕事など簡単に探せるわけもなく…

その電話は、知らない人の声だった。

社名を言われても何のことだかすぐに分からなかった。2度聞きなおしてびっくり。くだんの派遣会社の新しい担当者らしいのだ。いまさら何の用があるのか訳が分からないまま話をきくと、なんと例の会社でまた人材が必要になった、できれば経験のあるあなたに行ってほしいのだが今の状況はいかがか?という。

とたんに、今ではすっかり忘れていた当時の暗くていやなその職場の記憶がよみがえった。同時に、数年ぶりの懐かしさもあり、チームの人たちの顔も思い浮かんだ。しかしまさか、またそこへ行くなど少しも考えられなくて返答に困っていると、「例の社員が、7月に定年退職した」と切り札のように言う。新しい担当者も前任者から私のいざこざについてよく引継されているらしい(笑)

一度電話を切り、心を落ち着けて考えてみることにした。電話を聞いていた夫が、いま時この年齢で仕事をみつけるのは大変なこと、こんなありがたいことははないではないか。名指し同然のこの話、断るなんて男(?)じゃない!

というわけで、また勤めることになりました。かすかなシコリを残したまま去った職場に、いまさらどういう顔をしていけばいいのかドキドキしたが、出勤初日、おそるおそる部屋に入ると、飛び込んできた懐かしい顔・顔!みんな笑顔で迎えてくれた。「待ってたよ」

当時のチームのメンバーが、それぞれ偉い役職につき、立派な椅子に座っていてちょっと笑えた。当時新入社員だった子がベテランになり大活躍していた。6年というのは、それほど昔ではないけれど、確実に人を変える微妙な年月じゃないだろうか。

みんな私のことを憶えていてくれて歓迎してくれたのが嬉しかった。職場の雰囲気も明るく変わり、心なしかメンバーも生き生きしているように見えた。派遣だ、社員だという差別もなく、みんなでいい仕事をしていこうという新しいリーダーの姿勢が頼もしかった。職場のリーダーが違えば全体の雰囲気はまったく変わること、1人でも“困った人”がいると全体がぎくしゃくしてしまうこともわかった。

今回みんなの晴れ晴れとした顔をみて、例の社員は最後まで孤立していたことが想像できる。本当に淋しかったんだと思う。私も今ならもっと違う態度がとれたかも、やさしくできたかも…と心が痛む。あの頃は自分がいっぱいいっぱいだった。自分を攻撃してくる人が許せなかった。しかしこの数年、趣味の世界を広げたり、ネットの世界を知るうちに、少しは物事を別の角度から眺めることができるようになったのかもしれない。

皆さんは、今から6年前、どんなことを考え、どんな生活をしていましたか?



9月6日

結婚して長野に住み始めたのはもう10年以上前。当時すぐに派遣会社に登録して、最初に勤めた会社。そこでの仕事や人とのふれ合いで、この土地のことや文化、人について知ることができた。ずっと家にいる生活では新しい土地に慣れるのにもっと時間がかかっただろう。

その仕事は厳しいながらも楽しく充実していた。何のとりえもない私だけれど、その仕事に関しては相性がよかったらしく、チームの上司たちからもたよりにされ嬉しかった。だけど…その楽しさ、充実度と同じぐらい憂鬱なことがあった。私が派遣されたことによって仕事を奪われた社員の1人から執拗な嫌がらせを受けていたのだ。(ありがちでしょ^^;)

仕事を奪われたといっても、その社員がチームからはずれるわけではなく、そのチーム(20人ぐらい)の補助的な仕事にまわったため、常に私への意地悪な目を光らせており、私が上司にちょっとほめられると不機嫌になったり、私が仕事上の合理的な方法を提案する際にも、直接上司に言わずに自分を通せと言ったり、とにかく、やりにくい相手だった。

社員の間でも、その人は“ちょっと困った人”として扱われていて孤立していたのだが、その淋しさを向ける先が、立場的に弱い派遣の私になったのだと思う。まだ若かった私も言いたいことをがまんしなかったし、不機嫌な表情を隠さなかった。こうしてお互いの関係が回復することはなかった。

まあそんな状態でいろいろあったのだけど、仕事自体は面白いので、「そんな人のためにやめるのもばからしいだろう」という上司の励ましもあってなんとか続けた。今思うとかなりのストレスと戦っていたと思う。5年以上続いたろうか。その後、もういいかなあと思って、特にいやがらせが理由というわけでもなく、仕事にも未練がなくなりそこを辞めた。チームの人たちにはたびたび相談したりしていたので、その関係を十分知っており(私を気の毒だとは思っていても、社員なのでどうすることもできない状態)、人間関係で辞めたと思われていたと思う。私がいなくなったことで、その社員も必要以上に心を乱すこともなく、ある意味、職場に平和が戻ったのではないだろうか。

悩んでいたのに何のフォローもなかった派遣会社にもあまりいいイメージがなく、その後一切連絡を取らなかった。そしてまったく別のところで今の新しい仕事を始めた。それももう6年たつ。そしてそれからは、ピアノを再開したり、小原さんの追っかけをしたり(笑)、インターネットを始めたり、このサイトに来てくれる皆さんと知り合えて新しい世界も広がった。その時は意識しなかったけれど、ストレスだらけの生活からゆったりと自分を取り戻すことができた。

そして先月、まったく突然1本の電話が鳴った。    続く

(なんて思わせぶりな^^;もう眠いので明日にしますがたいした話じゃありませんm(_ _)m)



7月26日

連休に北海道旅行してきました。
小樽・富良野・美瑛・札幌をレンタカーでまわった4日間。ラベンダーをはじめ花が真っ盛り!天候にも恵まれ、それぞれの土地を堪能してきました♪どこまでも続く道が印象的でした。

小樽・富良野  美瑛・札幌

↓前回の日記に、問題の写真追加!(笑)



7月15日

昨日はサントリーホールへ。
ここ3週間連続で東京へ通っています^^;

東京国際音楽祭スーパーワールドオーケストラを聴きに行きました。これは世界各国のオケで活躍する超一流のメンバーによって組織された夢のようなオーケストラです。野球で言えばオールスターのようなものですね。各オケの中では首席で吹いている人が、セカンドを担当したりする贅沢が味わえるのです。

だからといってその場で組み合わせたようなぎくしゃくした感じはなくて、さすがにアンサンブル力も表現力もここまでのレベルになると、う〜んと唸ってしまうほど!同様のスタイルを持つサイトウ・キネン・オーケストラより格段に上でした。

プログラムはオール・ブラームス。
バイオリン・コンチェルトのソリストは、チョン・ミョンフンの姉、キョンファ。私はバイオリンのことはよくわからない^^;だけどとにかく圧倒された!という感じでした。すっごく上手いんだろうなあと思います。

今回は、オケの後ろの、パイプオルガンがあるほうの席をとったので、オケを裏側から眺めることになります。座ってみると、まるで自分がオケのメンバーになったよう。舞台から客席を見るとこんな感じだったよな〜、と懐かしいような緊張するような感覚を味わいました。ステージへ指揮者が入って来たとき、おもわず立ち上がりそうに…^^;
というわけで、ソリストの音は全部向こう側に行ってしまい、この席からは聞こえづらく、その点は残念でしたが仕方ありません。

さて、私のお目当ては、クラリネットのヴェンツェル・フックス。現在、ベルリンフィル首席クラリネット奏者として世界的に有名ですが、実はワタクシ、彼がベルリンフィルに入る以前からのファンなのです。

1990年、私たちは新婚旅行でウィーンに行きました。憧れのムジークフェラインでオケを聴きたくて調べたところ、滞在中に行けそうなのは、オーストリア放送交響楽団というオケの公演だけでした。知らないオケでどんなものかと思いながら、おめかしして会場へ。開演までまだ時間があり、客席もまばら。そんな中、クラリネットの1人が早々とステージに座っていて練習(?)していました。その日の演目はボロディンの歌劇「イーゴリ公」より「だったん人の踊り」。あの過激に速いソロのところを何度も吹いているのです。私はそのケタ外れの巧さに仰天しました。指が回るとかそういう話ではなく、そのあたたかく明るい音色と、スピード感、歌い上げるセンスに、たちまち虜になってしまいました。

客席はまだまばらで、ステージに注意を向ける人もほとんどいない中、私がキラキラと賞賛の視線を送っていたのだと思います(笑)勝手な思いかもしれませんが、彼もこちらを意識してチラチラと見ながら、ますますノリノリで吹いているのです。彼にしてみれば、アジアの女の子が見てるなあ…ぐらいなのかもしれませんが、惜しみない賞賛のまなざしで見ている客というものは、演奏の励みになるに違いありません。私が見れば見るほど、ますます速く過激に吹くのです(笑)

隣の夫も、「あの兄ちゃん、絶対意識してる、ノリノリだねえ〜」と笑っていました。やがて他の団員も席につきはじめ、指揮者が入ってきて本番のステージが始まりました。もちろんコンサートは素晴らしく、とっても感動したことは言うまでもありません。

ステージが終わり、私たちはすぐ楽屋を探しました。このクラリネットお兄さんに一言、素晴らしかったと伝えたかったから。すると、舞台のすぐわきの階段のような所でぽつんと楽器の片づけをしているお兄さん発見。思わず駆け寄ると、「ああやっぱり君たち来たか」といった感じで、気さくに話をしてくれました。楽屋は立入禁止になる日本では考えられません。

ドイツ語はおろか、英語も話せない私たちですが、身振り手振りで、どんなに感動したかを伝えました。彼は愛想良く礼を言って「君たちはどこの人か」と聞くので、「日本、私はクラリネットをやってて、そして夫はファゴットなんだ」というと、「トーキョー?クニタチオンダイ?トーホー?」と言われたのでびっくりして、「ノーノー!ただのアマチュアですう」と赤面しましたが、彼に通じたかどうかは疑問です。

最後に、夫がカメラを向けて写真をとらせてくれというと、いきなり私はグワシっと肩を抱かれ、動揺しまくりでしたが、1枚撮らせてもらいました。ウィーン旅行でも特に印象に残った場面でした。(1990.6.撮影)


その後、2人の間でも彼のことは時々思い出す程度で忘れていました。そして数年後のある日、テレビでベルリン・フィルの演奏会をみていたら、クラリネットの席でカールライスターじゃない人が吹いている。よく見ると、なんとあのクラリネットのお兄ちゃんではないか!ひっくり返りそうになりながらも、あの時の音色と音楽性の素晴らしさを思いだし、世界最高峰(と私は思っている)のベルリンフィルの首席奏者に就任したことを確信しました。

あのウィーンで出会ったあのクラリネットの青年は、ヴェンツェル・フックス。今や世界を代表するプレイヤーです。私は、ベルリンフィルがテレビに映るたびにフックスを探し、そのあたたかい音色と、素晴らしい歌い方にうっとりと聞き惚れています。

長くなりましたが、そのフックスが、このスーパーワールドオーケストラに出ているわけです。相手は知らずとも、私にとっては13年の時を経た再会。後ろの席から私はフックスばかり眺めていました(笑)

特に感動したのは、協奏曲の2楽章。冒頭に非常に美しいオーボエの大ソロがあり、木管のアンサンブルがあります。オーボエの音色も素晴らしかったし、それを盛り上げるフックスのクラリネットがよく歌い、本当に心から幸せを感じる瞬間でした。こういうアンサンブルは、1人がどれだけ巧くても作れません。また、ソリストの集団にありがちな、俺が、俺がと前に出たがる演奏も、しらけます。中心になるメロディをひきたて、控えるところは控える、自分が前に出るときは思い切り歌う、もちろんメロディの下になるパートも十分に歌わなければ良い音楽は作れない…

こういったアンサンブル力は、1人でピアノを弾く上でもとても重要な要素だなと、あらためて思いました。

また、今回のオケで印象的だったのは、フレーズの終わりや曲の終わりで、すっと音が消えて、ホールに響きが残る、その美しさが際だっているということです。音程が微妙にずれていたり、バランスや切るタイミングがずれるだけで、こういう美しさは出ないんですよね。あとは音色の豊かさというのがあるかもしれない。

メインは交響曲1番でした。有名なクラリネットソロ、フックスで聴けると思っていたら、協奏曲が終わったとたん、1番と2番の奏者が入れ替わってしまいました^^;ショック!その人もかなり良い音を出して、よく歌っていましたが、フックスファンとしては、やはり残念…。しかし、よく考えてみると、私は昔、この交響曲1番を、セカンドで出たことがあったのでした。自分が吹いた譜面そのまま、今、目の前のフックスが吹いている、と思うと感激でした。もちろんオーケストラの演奏は素晴らしかった。4楽章は気持ちが高揚し、体が揺れてしましいました。

ステージが終わり、プレイヤー同士握手をしながら、成功を喜びあい、袖に引っ込んでいきます。目の前にフックスが歩いているのですが、もう13年前とは違います。駆け寄ってフックス!と声をかければ、また愛想良く返事をしてくれそうな方なのだけど、今度は私の足がすくんでしまいました。しずかに心の中で拍手を贈りました。

とてもいい演奏会でした。最終の新幹線に乗り、窓を眺めながら、今聴いた音楽や、自分のピアノのことについていろいろ考えました。駅からの帰り道、満ち足りた気分で歩いていると、飲んでもいないのに酔っぱらったような感覚がありました。私たちはお酒を飲めないのでわからないのですが、きっと上質なワインを飲んだあとはこんな気分になるのではないでしょうか。「ずいぶん贅沢な趣味を持ったものだね…」と苦笑しました。



7月7日

5日、街角セレナーデ主催のオフ会、「第1回ピアノの会」が無事おわりました。
皆さんのおかげでとても楽しく過ごして来ました!

初めての場所で、ピアノの状態やスタジオの雰囲気などが心配でしたが、想像を上回る素晴らしい環境でした。2台置かれたスタインウェイはメンテナンスが行き届き、美しい音色で弾きやすかったです。

街角を開設して3年、ずっとこんな会をやりたいと望んでいました。大人でピアノを楽しんでいる方は全国にたくさんいるのに、一人一人は孤独なことが多い。同じ趣味の仲間とピアノを囲み、いろんな曲を紹介したり、気軽に演奏を披露したり、音楽談義をしたい…

場所の提供なら、街の公民館や音楽教室の1室でも借りられるけど、せっかくなら、ふだん個人では接する機会のない、質の高い楽器に親しみたい…という強い気持ちがあるので、ネットを探し歩いた結果、いろいろな方の情報から、渋谷ステュディオに行き着きました。

2台置かれたピアノはスタインウェイのBモデルで、去年白馬での3人だけのミニオフ会で弾いたアウゼホールのスタインウェイ(Aモデル)よりも少し長い。ドキドキしながら鍵盤に触れると、スタインウェイ独特の爽やかで明るい音色の中にも、奥深い立体感のある音というのかな、甘い音色…思わずほっとして、嬉しくなりました。

もちろん置かれたホールの大きさも関係していますが、アウゼホールのピアノの音色は可憐で遠くで鳴っているような感じがあったのに対し(もちろん客席から聴くと素晴らしい)、ここはやや重厚感のある、しかも自分の弾いた音がしっかり耳に届いてくるような、弾きやすさがありました。

今回のご参加は、しおんさん、サンドさん、空耳太郎さん、けいこさん、黒ごまあつしさん、Ekkoさん、もるとの7人でした。皆さん、大切に弾いている曲を披露していただき、新しい刺激を受けたり、一人一人のピアノへの接し方に興味をもったり…本当に楽しかったです。今回は指をケガしていたので、自分は思うように弾けなかったのですが、そのことで逆に情熱がわいてきました。次回にむけて、ますますピアノ熱が高まりそうです。

※この「ピアノの会」は今後も定期的に続けて行きたいと考えています。ご興味を持たれた方はBBSでお知らせ下さい。なお、ゆったりした時間を確保するため、1度の人数は10名程度とします。